〜もう戦(いくさ)はせんべえ〜
さくっとした歯触りが自慢。
原材料にこだわり、卵をたっぷりした軽くて口当たりのよいせんべえです。
飽きのこない、どなた様にも喜ばれる懐かしいお味です。
さらに、平和の祈りを込めて、「もう戦はせんべぇ(しない)」の意味があります。
長久手からの帰省の手土産にご利用下さい。
武将の家紋入り
天正12年「小牧・長久手の戦い」で相見えた武将の家紋の入ったせんべいです。
徳川家康|三つ葉葵
豊臣秀吉|千成瓢箪
織田信雄|五木瓜(五瓜に唐花)
榊原康政|榊源氏車
井伊直政|井桁
池田恒興(勝入)|揚羽蝶
森 長可|鶴丸
堀 秀政|釘抜き
の家紋や旗印をせんべいに刻印。戦国武将と歴史に想いを馳せお楽しみください。
長久手の特産品企画にあるご意見が寄せらた
長久手の特産品企画をはじめた私たち。こんな意見が寄せられた。
軽いこと、数が20個以上で1,000円ぐらい。奇抜じゃないこと。「長久手らしさ」が伝えられること。長久手の農産物を使うこと。
これを全部クリアーするべく調査始動。困ったことに長久手を代表する農産物で愛知県の認定を受けているものが少ない。新たな商品を作ることには課題がたくさん。翌年の秋、10月に開催予定の地域共生サミットでのお土産としてエントリーせねばならない。間に合うだろうか・・・。
軽くて、数があって、、みんなにウケるものってなんだろう。長久手に美味しいお菓子は数あるけれど、「せんべいは無いんじゃない?」
歴史の教科書にも出てくる「小牧・長久手の戦い」を「長久手らしさ」にしようか。長久手合戦がいかに重要で激しい戦いだったか、戦の後も、長久手に住んでいた人々との関わりが生まれ、地名にもその歴史が刻まれていることを知る。史跡以外に「首塚」や「耳塚」があり、今も地元の人たちが日々お世話をしている。そう、若いまち長久手もすばらしいが、戦国時代という歴史の息吹を感じられるまちでもあるのだ。ということで、この地で活躍した武将のご紹介もかねて、家紋をあしらった「長久手合戦せんべえ」が出来上がる。せんべいではなくて、せんべえ。これは「もう戦はしないぞ」という願いを込めた。
長久手市は平成26年9月30日に非核平和都市宣言をしました。
https://www.city.nagakute.lg.jp/gyosei/gyousei_etc/heiwa.html
職人達の匠の技
長久手合戦せんべえを焼いてくれている伊藤製菓(岐阜県加茂郡八百津町野上)は、「職人達の匠の技能を守り続け」ながらオリジナル煎餅の開発にも力を注ぐ。八百津と言えば、第2次世界大意戦ユダヤ人にピザを発給し6000人もの生命を救った外交官杉原千畝の記念館を思い浮かべる。非核平和都市宣言をしている長久手に浅からぬご縁を勝手に感じつつ、実はこの伊藤製菓のすぐ南には、本能寺の変後の混乱期に東美濃を統一した森長可の居城「美濃金山城」がある。長久手合戦で若くして散った森長可にゆかりの地で「長久手合戦せんべえ」が生まれた。長く愛されることを願うばかり。
商品概要
名称:焼菓子【長久手合戦せんべえ】
原材料名:小麦粉、砂糖、鶏卵、果糖ブドウ糖液糖、食塩、膨張剤(原材料の一部に小麦、卵を含む)
内容量:24枚
(当製造ラインでは小麦・そば・落花生、卵、山芋、乳、大豆を含む製品を製造しております)
長久手合戦シリーズ
羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康。天下人2人が直接対決した小牧・長久手の戦い。天正12(1584)年4月9日、長久手にて大激戦が起こった。これを長久手合戦という。この戦いで活躍した大将、名将たちに想いを馳せて、家紋をあしらった品々をご紹介します。
決戦の跡地は長久手古戦場公園となり、この戦いで亡くなった池田勝入(恒興)、庄九郎(元助)をまつる塚が築かれています。池田勝入の娘婿であり、先の本能寺の変にて織田信長と最期を共にした森蘭丸の兄、森長可もこの戦いにて果てる。長久手古戦場公園に程近い木立のなかにひっそりと武蔵塚がある。
深堀!長久手合戦
(長久手市 長久手古戦場物語)市HP
https://www.city.nagakute.lg.jp/gakushu/rekishi/kosenjyo.html
(長久手市観光交流協会雑人1番から4番)
雑人的 長久手合戦1
https://nagakute-zatto.jp/archives/521
雑人的 長久手合戦2
https://nagakute-zatto.jp/archives/645
雑人的 長久手合戦3
https://nagakute-zatto.jp/archives/857
雑人的 長久手合戦4
https://nagakute-zatto.jp/archives/1059